宮城県女川町は東日本大震災における最大の被災地でした。
現在、復興予算として1,800億円(国民1人あたり2,000円の負担)が投入され、復興への道のりを歩んでいます。
町の復興を担う担当課職員は40名、うち2/3は
他の自治体から派遣された出向職員です。
須田町長曰く、まだ人員が足りないそうで、
特に土地区画整理事業に精通した職員が
必要とのことでした。
今回の視察では、宮城県から出向している
担当課長から詳しくお話を伺いました。
女川町の復興まちづくりの基本的な考え方は
都市機能の集約。利便性の高いコンパクトシティ
です。そして階段状に市街地をエリア分けして、
津波に強い町を目指しています。
具体的には、Lv2規模に耐えられる高台に
住宅を配置する一方で、商業施設等の産業機能は
女川駅周辺のLv1エリアに配置されています。
ランドマークは女川駅。富士宮市の富士山
世界遺産センターを設計した坂茂先生の作品です。
女川町は海が見えなくなる高さの防潮堤は
整備しない事に決めました。津波を防ぐことよりも、津波にいち早く気付き、確実に逃げられる事を優先した為です。主な産業が漁業である女川町
にとって、海と町民は切っても切れない間柄
です。震災後も海とともに生きて行く、町民の
決意が伝わってきました。
今回の視察で特に印象的だったのが、
女川町の唯一の医療機関である病院は、
震災時に一階部分が浸水した場所に
そのまま建っている事です。その事について、
詳しく話を聞く事は出来ませんでしたが、
今回の視察を踏まえて、改めて桜ケ丘病院の
事を考えてみたいと思います。