令和2年3月11日、ふかざわ陽一さんに会う為に富士市を訪れていた私は、被災時刻となる14時46分時点で同法無線のサイレンを路上で聞いてハッとなりました。その時は東日本大震災の事が頭から抜け落ちていました。
数年前に気仙沼や陸前高田、女川を訪れ震災の爪痕を目の当たりにしましたが、新聞等によると震災から9年経った今でも、それらの町の復興は道半ばのようです。
私の住まい、清水区駒越地区も津波浸水想定区域です。これは静岡市全体に言える事ですが、安心安全と賑わいの両立は非常に難しいテーマです。しかし、それでも静岡を諦めない。そんな決意を胸に明日も頑張ります。