アーカイブページ

和解の石

部分開通した羽衣海岸線を走ると、折戸地区と駒越地区の境に、和解の石と呼ばれる境界石があります。
「織戸西境浜境日記」によると、元文2年(1737年)漁場を巡り三保・折戸両村と駒越村が揉めた際、江戸評定所が双方の言い分を吟味して、現在の境を決めたとの由。

【植松則之 × 堀努】対談動画(清水区のまちづくり)

【深澤陽一 × 堀努】対談動画(SDGs)

【深澤陽一 × 堀努】対談動画(清水みなとまちづくり公民連携協議会)

PAGE TOP
PAGE TOP