名 称:忠霊塔
所在地:清水区駒越迎山町2081-1
竣工年:1959年
設計者:吉田五十八
施工者:大成建設
歴 史
「静岡市立清水病院」沿いの道路(県道198号線)を海に向かって650mほど進むと右手に駒越交番があります。交番の裏手には、標高26m、高低差18mの「迎山」という小高い丘があり、その頂上に忠霊塔はそびえ建っております。忠霊塔は読んで字のごとくで、西南戦争から太平洋戦争までの戦没者、戦災受難者4,356柱の霊を祭っています。堀嘉七様から頂いた資料によりますと1957年(昭和32年)に遺族会や自治会が中心となって設立準備会を結成し、翌年の9月に旧清水市が建設に着手、総工費約1640万円で1959年(昭和34年)に完成しました。そして、3月21日には約2,500人の市民が参加して除幕式と招魂祭が盛大に行われたそうです。
設計者
設計者は近代数奇屋建築の創設者である著名な建築家、吉田五十八(1894~1973)氏で、彼が65歳の時の作品です。代表作は東山旧岸邸、岩波茂雄別邸、吉屋信子邸、成田山新勝寺大本堂、元歌舞伎座(第四期)など多々あります。また、1942年(昭和17年)には「浮月楼」の建物も設計もされています。(残念ながら戦災で焼失。現在の建物はその設計方針をいかして戦後まもなく立て直したもの。)
特 徴
デザインは神社の千木(ちぎ)を型取ったもので、忠霊塔をグラウンドに立って見上げると、正面に階段(92段)がそそり立ち、上にいくほど絞り込んだ、階段の両ささら桁が柱となり天空を指しています。反対側の丘からも2本の柱が立ち4本の柱が交差して、山と一体となったスケールの大きいモニュメントとなっています。
課 題
「鉄筋コンクリート造打放し」の忠霊塔は、建設されて57年が経過し、その間特別なメンテナンスはされておらず、このまま放置すればいずれは朽ち果ててしまうことでしょう。地元のみならず、全国的に見ても貴重で大切なこの建造物を、この町のシンボルとして未来に残していくために、産学官民一体となって取り組んでいかなければなりません。
おわりに
今回、忠霊塔に関する貴重な資料を提供してくださった、堀嘉七様に心より感謝申し上げます。
参考資料
・H20「地域文化財専門家」育成研究 文化財建造物調査票
・まちの双眼鏡(http://machi.eshizuoka.jp/e1479758.html)
撮影日
2016年10月20日(木)AM